ローマの詩人で「物の本性について」という本を書いたルクルレチウスは、「色の黒いことに悩んでいる女の子は、ナッツのような褐色の肌と讃えよ」とすすめていますが、劣等感というものは、言葉によって醸成されたり解消されたりするケースが多いのです。色の黒いことそれ自体は、別によいことでも悪いことでもありません。「黒コゲ」などと言われれば悩みもしますが、「小麦色」といわれて悩む人はいないでしょう。「物の本性について」という本でも、「雪のような白い肌」といわれれば気分の悪かろうはずはありませんが、「まるで雪女だね」といわれたら、いい気分でいられるかどうか疑問です。
じょうずな美容師は、お客の欠点を隠そうとしないそうです。むしろその欠点をチャームポイントにして、全体のヘアスタイルなどを考えるのです。大きなホクロがあっても、「奥様の顔のチャームポイトはここですね」といわれているうちに、それがまるで気にならなくなるばかりか、愛着すら感じはじめるでしょう。欠点を隠そうとすれば、よけいにそこだけが浮き上がって目立ちます。
子供の欠点も、お母さんが肯定的な表現で言いかえてやると、そこに見方の転換が行われ、いつのまにか劣等感が薄らいでいってしまうのです。これは何も肉体的なものにかぎったことではなく、性格的な欠点や勉強の弱点についても当てはまるはずです。
译文对照:
罗马诗人卢克莱修曾在《关于物的本性》一书中规劝人们,他写道:“要赞美一个为肤色黝黑而苦恼的姑娘,说她有着栗子般褐色的皮肤”。自卑感,既可以用语言酿成,也可以用话语解消。肤色黑,这本身既不是什么好事,又不是什么坏事。如果被人说成“焦黑”,这当然令人恼火,但如果说成“小麦色”,大概不会有人感到烦恼吧。肤色白皙的女人也是如此,当听到别人说:“洁白如雪的肌肤”时,她的心情绝对不会差到哪,但假如别人说:“简直白得像个白骨精”的话,那么,她能否感到高兴,这还是一个疑问。
据说,高明的理发师不想隐瞒顾客的缺点,反而把那个缺点说成是魅力所在,然后再来考虑整体的发型。如果女顾客脸上长着一个大黑痣,理发师就会说:“这个黑痣正是夫人脸上的魅力所在呀!”这样一来,顾客不但不在厌恶那个黑痣,甚至反而会喜欢上它吧。缺点,想要掩盖它,反而使它更突出,更明显。
孩子的缺点也是如此。一旦母亲改换为一种肯定孩子的方式,而对缺点的看法也会有所改变,不知不觉间孩子丢了自卑感。这种做法不仅仅局限在身体方面,性格上的缺陷,学习上的薄弱环节也同样适用。