日语双语:关于日本人姓氏的趣闻
http://riyu.yinghuaedu.com 来源:英华教育(青岛)语言中心 发布时间:2013-05-04 11:12:22
日语双语:关于日本人姓氏的趣闻家族の誕生家族的诞生平安時代末期以降の日本には「氏族」と「家族」が存在しました。「平氏」や「源氏」と...
日语双语:关于日本人姓氏的趣闻
家族の誕生
家族的诞生
平安時代末期以降の日本には「氏族」と「家族」が存在しました。「平氏」や「源氏」というように、「氏族」というのは血のつながった集団のことで、一方の「家族」というのは一緒に住んでいる人たちを指します。
平安时代末期以后的日本存在“氏族”与“家族”。像“平氏”、“源氏”这样的以血缘关系结成的集团称为“氏族”,而“家族”指的是住在一起的人们。
同じ家で暮らしているのは、血のつながりがある人同士だと思いがちですが、夫婦同士や嫁と姑などは血がつながっていません。しかも平安時代の末までは、夫が妻の家に通う「通い婚」が一般的であったため、「家族」という概念は存在しませんでした。ところが武士が台頭し始めると、家の財産としての家産が生まれ、嫡男が家業を継ぐ必要が出てきます。そうしたことから女性を嫁として「家族」に迎えるようになったのです。
在同一个家里居住的人容易被认为是有血缘关系的同伴,但夫妻、媳妇、婆婆等都是没有血缘关系的。而且在平安时代末期,一般丈夫往来于妻子的家叫做“通勤婚”,不存在“家族”这一概念。不过,当武士势力开始抬头,家的财产作为“家产”出现,产生了嫡子继承家业的必要性。由此,女性作为媳妇迎来了“家族”时代。
「苗字」の時代へ
来到“苗字”的时代
歴史上の名前を見ていくと、さらに興味深い点に気づきます。平安時代以前の人物は「そがのうまこ」「みなもとのよりとも」など、名前に「の」を付けて読んでいるのに対し、鎌倉時代以降は「あしかがたかうじ」「とくがわいえやす」と、「の」は消えています。実は、「の」が付くのは氏族の名前であり、「源頼朝」の「源」は「姓」、一方、「の」が付かないのは家族の名前であり、「徳川家康」の「徳川」は「苗字」です。現代では姓と苗字を同じものと見ていますが、実はまったく別次元のものなのです
看看历史上的姓名,会发现更多有意思的地方。平安时代以前的人,比如“そがのうまこ”、“みなもとのよりとも”等,名字里会加上“の”,相对的,在镰仓时代以后便改成了“あしかがたかうじ”、“とくがわいえやす”,名字中的“の”就消失了。事实上,加“の”的是氏族的名字,“源頼朝”的“源”是“姓(氏族姓氏)”,而另一方面,不加“の”的是家族的名字,例如“徳川家康”的“徳川”是“苗字(家族姓氏)”。现代将“姓(氏族姓氏)”等同于“苗字(家族姓氏)",但其实二者完全不可相提并论。
織田信長の本名は?
织田信长的本名是?
時代が氏族から家族へと移るようになっても、当時の人がいきなり名前を変えたわけではありません。中世・近世を生きた人々の中には「姓」と「苗字」の両方を持っている人もたくさんいます。
即使从氏族制时代进入了家族制时代,突然要当时的人们改变名字是不可能的。生活在中世纪、近代的很多人都同时拥有“姓”与“苗字”。
例えば、足利尊氏の正式な名前は「足利又太郎源尊氏」と言って、足利が苗字、源が姓です。そして公式の場では「源尊氏」を使い、プライベートでは「足利又太郎」を使っていました。同様に織田信長の正式な名前は「織田上総介平信長」、西郷隆盛は「西郷吉之介藤原隆盛」と言います。
例如,足利尊氏正式的名字叫做“足利又太郎源尊氏”,足利是苗字(家族姓氏),源是姓(氏族姓氏)。而且,在正式的场合使用“源尊氏”,在私下使用“足利又太郎”。同样的,织田信长正式的名字叫做“織田上総介平信長”,西乡隆盛叫做“西郷吉之介藤原隆盛”。
このように姓と苗字は幕末まで並行して用いられ、明治の初めに「苗字を名乗るべし」という布告が出されたのです。
像这样姓与苗字共用的情形一直延续到幕府末期,直到明治初期开始宣布“必须以苗字(家族姓氏)自称”。